先週末は練馬区内の庚申塔を色々と見てきた。
男女が抱き合ってたりチン●ン型だったり、丸いだけで逆に目立ってたりする道祖神に比べ、庚申塔は地味な印象があったんだけど、最近色々と調べてみたところ、庚申塔には庚申塔の様式美があり、今一番興味のある石仏となった。
そもそも庚申塔とは何かというと、まず庚申待という信仰が平安時代からあり、これは元々は中国の道教が由来らしいんだけれども、人の中にいる三尸虫(さんしちゅう)が1年のうちに何回かある庚申の日、夜寝ている時に宿主を抜け出して天帝にその人間がやらかした悪事を報告に行くそうで、「じゃあ三尸虫に報告に行かせないよう、庚申の日は寝ないで起きてようぜ!」ということで、みんなで集まって徹夜でお酒を飲んだりしたという……これが庚申待という信仰らしい。
そして庚申待を3年間行った記念に庚申塔を造立したのだとか。
これだけ聞くと、何かと理由をつけて酒を飲む現代人とやっていることは変わらず、親しみが持てるなあ。
しかし明治以降にそんな信仰は迷信であるということで、たくさんの庚申塔が取り壊しの憂き目にあったらしいが、幸いにも破壊、撤去を免れた庚申塔が今もまだ残っているという。
そう聞くと庚申塔はほとんどなくなってそうに思えるんだが、これが目を凝らして探せば、各所で見つかるという。
ちなみに庚申塔の基本形は大体こんな感じ。
青面金剛と三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)は大体どの庚申塔にもいるんだけど、色々庚申塔を見比べてみると、それ以外にも見知らぬ動物(?)がいることが多い。
最近気が付いたのが邪鬼の存在。
よく見ると青面金剛がなんか踏んづけてるなと思って調べてみたところ、これは邪鬼なんだとか。
そしてもう一人、ショケラの存在が庚申塔をさらに探索し甲斐のあるものに変えてくれた。
邪鬼は結構な頻度で庚申塔にいるが、さらに少数、青面金剛がショケラという名前の小さい人間を持っていることがある。
ショケラは半裸の女人像で、色々悪さをするために捕まっているという構図らしい。
簡潔に説明すると下のような感じ。
■青面金剛
強面の正義の味方。武器を持っていて足元に邪鬼を踏みつけ、左手にショケラを捕えている。
■邪鬼
やられ役。青面金剛に踏まれているが、頬杖をついていたり変な顔をしていたり、反省の色が薄い。
オカッパみたいな髪形をした邪鬼もいたりする。
■三猿
見ざる、言わざる、聞かざる。石塔の一番下でちゃんと座っていたり各々遊んでいたりする。
なぜ猿があしらわれているのかというと、庚申塔の申=猿だからとか、三尸虫に告げられないように「見ざる、言わざる、聞かざる」と慎み深くして、厄を避ける意味合いがあるのだとか、諸説あるそうな。
なぜ猿があしらわれているのかというと、庚申塔の申=猿だからとか、三尸虫に告げられないように「見ざる、言わざる、聞かざる」と慎み深くして、厄を避ける意味合いがあるのだとか、諸説あるそうな。
■ショケラ
半裸の女人で、青面金剛に雑に頭をつかまれている。三猿と同様、名前の由来が様々。
三尸虫を擬人化したものという説があったり、庚申の日は男女同衾が禁じられており、それを徹底するために「こういうことしちゃダメだよ」というその戒めの表れという説とか、色々。
今回あらためて邪鬼、ショケラ、そしてよく見ると色々なポーズを取っている三猿のことを気にしながら、庚申塔が大変多く残されている練馬区を端から端までめぐってみることにした。
まず1日目、西武新宿線の武蔵関駅で降り、周辺の庚申塔を見ながら徐々に西武池袋線の石神井公園のあたりへと歩いていくことに。
梅雨入りしたこともあり、先週の山梨での道祖神探しに比べ、気温は10度も低く、歩き回るにはこれぐらいがちょうどいい。
武蔵関駅から北に歩いて数分、庚申橋北交差点という場所にその名の通り、庚申塔があった。
この間の庚申湯もそうだし、「庚申」という言葉はいたるところに残っており、確かに生きた文化であることを感じさせる。
この庚申塔は邪鬼はおらず、青面金剛、そして三猿のみ。
三猿も庚申塔によってはかなり造りが適当なものもあり、みんな同じような形に見えることもあるが、この庚申塔の三猿はそれぞれ口、耳、目を手で覆っているのが見て取れる。
これは武蔵関駅から南東にしばらく進んだ、関町南という地名のところにあった庚申塔。
ここにも邪鬼はおらず、三猿のみ。
この手の顔の判別もつかないような、適当な造りの三猿は結構多い。
というかおれはこのタイプの三猿のせいで、これらの猿は下のような姿なのかと思ってた。
両足だけで成立している姿の猿というか。
ドラクエのアカイライみたいな感じ。
でもよく見るとこれは足ではなく手で、ちゃんと口や耳を押さえている。
これは上石神井立野の庚申塔。
千川通り沿いにあり、1704年に造立されたものなんだとか。
この庚申塔、おれがぼーっと見てたらおばあちゃんが来て、手を合わせていったんだよね。
前に別の場所でも、小学校沿いにある庚申塔があり、子供が前を通った時にわざわざ立ち止まって手を合わす光景を見たこともある。
庚申待の由来からすると手を合わせるのもちょっと変に思えるし、おばあちゃんはともかく、子供なんか絶対意味は分かってないと思うんだけど、神様って手を合わせなきゃいけないものなんだよな。
ここも邪鬼はおらず、三猿のみ。
左右の見ざる、聞かざるは中央に向き合っている。
千川通り沿いに北に向かうと、庚申塔がもう1基。
ただし閉じられていて、全容を拝むことは難しい。
摩耗していて顔立ちもよく分からなくなっている。
三猿は上石神井立野の庚申塔と同じタイプ。
庚申塔を求めて、石神井公園のほうに歩いていくと、途中でひなびた階段が。
辺りは整備されていてきれいな道なのに、この階段だけが草ぼうぼうでむしろ目を惹く光景となっていた。
ここから数分歩くと智福寺があり、中でまた石仏を見る。
墓地の中に他の石仏に交じって庚申塔が。
敷き詰められるように置かれていて、下のほうはちゃんと見ることができない。
が、石仏と石仏の間から覗き込んでみると、庚申塔の下部には邪鬼の姿が。
青面金剛に踏まれているんだけど、そこはよく見えない。
智福寺の入り口に、こんなにきれいな仏様が。
でもこれちょっと面白かったのが、実は背後に別のお地蔵さまがいらっしゃるという。
一見ただの石にも見えてしまうんだけど、調べてみたところ、塩上げ地蔵という石仏の一種らしい。
これ前の仏さまは絶対後から置いたよね。
主役の座を奪われた塩上げ地蔵も、こっそり憤怒の形相をしているのではないか。
でも程良いとろけ具合と色合い、後ろの塩上げ地蔵のほうがずっといいな。
ちなみに塩地蔵は各地にいるらしく、西新井太師のものなどが有名らしい。
下石神井にあり、練馬区の登録有形民俗文化財にも指定されている丸彫青面金剛庚申塔。
これは豪華な造りで目を惹く。
練馬区のサイトにもこの庚申塔に関する詳細な記述があり、なんと今でも庚申待の行事が行われているとか。
はっきりと踏みつけられている邪鬼の姿が!
踏まれている邪鬼の表情が、この庚申塔に限らずみんな憎めない感じで面白いんだよな。
ちょっとまだ青面金剛をナメている感じが見えるというか。
そしてさらに北に移動して、石神井公園の近くにある池淵史跡公園に到着。
ここはめちゃくちゃ楽しかった。
なぜなら、公園の中にたくさんの石仏が置かれていたから。
他の場所から移設されてきた石仏などが集められているらしい。
馬頭観音と庚申塔。
それぞれ1803年と1720年の造立と、真ん中の立て札に書かれている。
上石神井のあたりの庚申塔は邪鬼がいなかったけど、石神井公園周辺の庚申塔は邪鬼がいるものが多くなった。
表情が分からず、これ邪鬼の存在を知らないと、人間が踏みつぶされてるようにしか見えないな。
下の三猿も猿というか、子供がかくれんぼしているみたい。
1703年に造立された庚申塔。
こっちの庚申塔には邪鬼がおらず、適当なタイプの三猿。
近い年代に造られたものでも、こんなに出来に差があるのが面白い。
1841年造立の庚申塔。
ここには三猿も邪鬼も青面金剛もいないが、他の庚申塔にあるように塔の左上に太陽、右上には月がくっきりと彫られている。
これまで一切太陽と月のことについて書かなかったけど、一番最初に描いた絵図にもちゃんといます。適当なのが。
1727年造立の庚申塔。
変な言い方になるけど、邪鬼の踏まれ方が面白く、かわいらしい。
何かに似てると思っていたけど、猫の香箱座りっぽいんだよな。
この妙な親しみやすさはそのせいなのか。
1765年造立の庚申塔。
これはかなり立派な造りとなっている。
例によってぺちゃんこになっている邪鬼と、楽しそうな三猿。
そして今回初登場のショケラ。
ショケラは青面金剛に首根っこを掴まれているのが基本形らしいんだが、いまいち形がよく分からない。
他のサイトで調べた情報によると、このショケラはまさかの首だけらしい……が、そういうふうにも見えないんだよなあ。
池淵史跡公園から出て少し歩いたところに、また庚申塔が。
公園からかなり近いのに、なぜこの庚申塔は公園には入れてもらえなかったんだろうか。
1691年造立だそうで、史跡公園で見た他の庚申塔より古い。
三猿とニ鶏。
庚申塔には鶏が彫られていることもあるらしい。
散歩してる時は気付かず、今調べて知ったんだけど。
三猿もここまでシンプルな造りだと、もはや味があってかわいいな。
散歩中に見つけたポップな「お静かに」。
野球の練習場の周辺でそんなにしゃべる輩がいるんだろうか。
公園を出て、さらに石神井公園を抜け、とうとう石神井公園駅のあたりまでやってきた。
駅のすぐそばにある富士街道沿いに突如として姿を現す庚申塔。
石神井公園駅のあたりはこれまで幾度となく通ったはずだけど、気づかなかったな。
この庚申塔の邪鬼はプチサイズで、三猿とあまり変わらず、他の庚申塔にいるのよりなお一層弱そうだ。
さっきの庚申塔から数分歩いたあたりに子育て地蔵の境内があり、ここにもまた庚申塔が。
他の庚申塔に比べて色々お供えされているのは、おそらく子育て地蔵の恩恵にあずかっているんだろう。
子供用のじょうろとか置いてあるし。
かなりしっかりした造りできれいなんだけど、1698年の造立とかなり古い。
これまでの庚申塔と逆向きの邪鬼。
これ頭を掻いてるのかな? ちっとも反省してなさそうに見える。
「スマンね!」っていう感じ。
石神井公園周辺はひとまずこれで終わり、電車に乗って一つ先の練馬高野台へと向かう。
このころになるとすっかりバテており、時間もすでに夕方に。
1日で練馬区内の気になる庚申塔を全部見るはずだったんだけど、夢物語過ぎた。
見ようと思っていた庚申塔の4分の1も見られず、結局この翌日も庚申塔探しをすることに。
これは次の日記で書きます。
それでも次に訪れた練馬区高野台にある長命寺がまた、とても良かったんだよね。
これがこの日のピークといってもよく、たくさんの石仏に囲まれた空間は不思議な冷え冷えとした感触があり、一種の霊気を感じた。
すさまじい数の石仏がたった一人の人間を囲むその光景は独特で、ほんと石仏の国って感じ。
上の写真は、その中でもとにかく目立っていた閻魔大王。
周りに閻魔十王と呼ばれる補佐官を従えており、少しだけ小さい同じような顔をした石仏がたくさんいた。
ちなみに余談だけど、この姿が知り合いにあまりに酷似していたので思わずLINEで「これ似てない?」と送ったが、いまだに返信が来ていない。
ひっそりと置かれていた、ずたぼろの石仏。
これは道祖神かな?
でも男女ではなさそうだし、双体道祖神とはまた違う気もする。
青面金剛をあしらった庚申塔もやっぱりあったんだけど、顔がなくなっている。
この手の顔面がない石仏って割とあるけれど、これはトラブルではなく、大体が願掛けとして意図的に削り取られたものらしい。
全体的に劣化が激しく、三猿ですら微妙に削れている。
また別の庚申塔が。
これは1801年造立と、これまで見てきたものより若干新しい。
それでもまだ幕末よりも前なんだけど。
言われてみれば、少しモダンな造りに思えなくもない。
さらにもう一基。
また顔面が削り取られている? それとも元々こういう顔なのか?
猿というか人間っぽいフォルムの三猿と、顔の部位がよく判別できない邪鬼。
さらにもう1基。
写真からも分かると思うけど、このころになると空が少しずつ暗くなってきており、もう時間との格闘だった。
夕方に一人で寺の中、なぜおれは石仏の写真を撮ってるんだろうと自問自答をしながら。
小型の三猿がかわいらしい。
実は邪鬼も存在していたみたいなんだけど、焦りのせいかアップで撮るのを忘れた。
さらに時間の許す限り歩き、練馬区富士見台にある谷原(やわら)の庚申塔へ。
これもまた練馬区の登録有形民俗文化財らしい。
そして、本日最後の庚申塔となった。
やっぱり文化財に指定される庚申塔は、他よりも多少立派な造りをしているな。
それでも丸彫青面金剛庚申塔には劣るが。
邪鬼と三猿。
地形? の部分の石とごっちゃになって、迷路みたいなうねりを形成している。
三猿もみんなこれ、単に顔を覆って隠れているようにしか見えないな。
富士見台周辺をちゃんと歩いたのは初めてだけど、ひなびた光景が広がっており、それがまた夕方の闇と合わさっていい味を醸していた。
疲労困憊で早く帰りたいと思いながらも、歩くうちにあたりの景色が気に入ってきてしまい。
そして駅のそばにある「ふじみ銀座」がまた良かった。
漂う郷愁の心地良さは戸越銀座にも負けないし、戸越銀座よりもしっとりしている。
●●銀座っていいよなあ。
立川銀座、川越銀座、そしてふじみ銀座。
本物の銀座以外の銀座はみんな素朴な明かりが灯っている。
夕食を頂いた後、ぶっつけで駅の近くにあるバーに入り、知らないウイスキーを飲めたので大満足。
お客さんの中に「仕事の都合で地方に引っ越してしまうんだけど富士見台が大好きで、最後にもう1回ここに来ました」という方がいらして、富士見台を初めてちゃんと覗いたおれも、何だかこの町に親近感が沸いたのだった。
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